今日から七夕まつりが始まっています。

スタジオ撮りで忙しく、覗きにいけないので数日前に通りかかったときの準備中のスナップショットを。
ほんとうは夜に覗くと、商店街の皆さんが作っているところが見られておもしろいのですけど......



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杉並区役所恒例の緑のカーテン。
左の黄色のちょうちんは七夕まつりのおしらせ。






イチョウ

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今日も暑い。
青梅街道のイチョウ並木。
葉が萎れかかっている。





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月下美人

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夜のパル商店街。

ふわりと良い香りがして立ち止まった。

あたりを見回すとスナックの入り口の脇に花をつけた月下美人が。

名の通り、夜咲く妖艶な花。

花言葉は、「はかない美」「はかない恋」「繊細」「快楽」「ただ一度だけ会いたくて」「強い意志」。

なかなか花を咲かさず、咲いても一晩限りなので、以前はテレビ局が取材にやって来るくらいめずらしい花だった。

そのせいか最近は人気があって育てている人が多いらしい。

育てても、会話のしにくい植物のような気もするが......。

ところで月下美人はドラゴンフルーツのような実をつけるのだとか。

はたしてその味は......花言葉のような味わいならばぜひ食べてみたい。






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アブちゃん

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もともとフリーの願望があったわけではなかった。

僕がいた事務所は最初は親分子分の二人だったが、まがりなりにも三面のスタジオを持つようになり何人もの人間が働くスタジオになっていた。
自由もあったし、自分個人の仕事もまあまあ順調だった。
もともとフリー願望が弱く、このままそこにずっといるつもりだった。
ところがあるとき、あることがきっかけで後先の考えもなく退職、そしてフリーに。
当時、心の奥に溜っていた不満などが、このきっかけで一気に噴きでたのだろう。
けっして円満退所ではないから、お世話になっていた方々にもご挨拶もできない。
なんの準備もしていなかったので、すぐさま困ることに......。



辞めて少し経ったある日、ふらりと銀座の小さな画廊に立ち寄った。
画廊主は10歳年上のアブちゃん。
本名は武者小路篤信(アツノブ)さんといって、実篤さんのお孫さん。

アブちゃんは僕が小学生だったころ、ずいぶん長い間うちにいたことがある。
欧州に遊学し、ひさしぶりに東京に帰ってきて銀座で一杯飲んでいるところで僕の親父と鉢合せをし、そのまま自分の家へ帰らず、親父と一緒にうちにやってきた。
上質のキャメルのコートを羽織り、手触りのとてもいい皮の手袋をしていたのがいまでも記憶にのこっている。
その晩、二人は遅くまで酒を飲んでいた。
翌日、親父は仕事に。
昼ごろおきて来たアブちゃんはのんびり。

「アブちゃん、朝食はなにがいい?」
「おばさま、ミルゥクッ! スクゥランブルドゥエッグゥ!トォーストゥとジャーム」
昼食兼朝食の食事ををゆっくりと食べて、どこかへふらりと出かける。

夜には「ただいま」と戻ってきて、僕たち子どもと遊び、遅くに帰ってくる親父を待って酒盛り。

日曜には妹達には内緒で、僕を連れて井の頭公園へボートを乗りに行った。
あの柔らかい手袋をしたままで、とても器用にオールを操る。
ちなみにアブちゃんの家、武者小路家は井の頭公園に面している。
そして手をつないで帰る。
親父が戻ってくると一緒に酒を飲んでいた。

お袋 「アブちゃん いつまでいるんだろうね?」  (笑)
親父 「さあね、飽きるまでうちにいるんじゃないか」  (笑)
僕 「ねー、ずっとうちにいればいいね。お兄さんができたみたいだな」  (笑)
妹 「うん、うちの人になっちゃえばいいのにね。 面白い人だから」  (笑)

結局どのくらいいたのだろうか。
少なくても井の頭公園のヴォートには2回は連れて行ってもらった。
ある時、「それではごきげんよう、さようなら」と帰って行った。

アブちゃんのお父さん、侃三郎(カンザブロウ)さんは親父の学生時代からの友達。
実篤さんの次女妙子さんと結婚をして武者小路姓になった人で、昔の美校生らしい豪快で大胆な人だったそうだ。
もう一人の親友、勅使河原宏さんと、とにかくよく遊んだらしい。
それに、僕の爺さんの眞太郎は実篤さんが「新しき村」を宮崎県木城町に作るときの会計役だったそうで、その後もとても親しくさせていただいていた。

アブちゃんはその後うちに来ることはなかったが、親父はたまに外で一緒だったみたいで話の端々にアブちゃんの話がたまにでてきた。
侃三郎さんが事務所で倒れているところをアブちゃんが発見したとか、とつぜん政治家になると言って皆がびっくりさせている話、周囲の人が説得してそれならばと画廊に就職した話とか......。



僕は少し前に開廊の知らせが親父のところにきていたことを思い出し、大人になって初めてアブちゃんに会いに行った。
もちろん祝意もあったが、自分がなんで辞めたのか、そんな話を聞いてもらうことで僕は自分が少し楽になろうとする気持ちがそうさせたのだとおもう。

画廊は昔のアブちゃんからは想像できないほど薄汚れたビルで、構造だけはがっちりとしていた。
入り口には手作りの石のレリーフをはめ込んだ看板。
ビルにはエレベータがあるが、三人乗りらしいが、入り口側に向いて2人乗るのが精一杯。
奥行きが狭いので、エレベータの中では正面に向き合うことができない。
真鍮製の丸いノブがついたペンキ塗りの重たい鉄扉。
鉄扉を開けると薄い抹茶色に染め上げたの絹本が貼られた天井と壁が広がっていた。
床には入り口のレリーフと同じ薄い赤っぽいベージュの砂岩のような石が引き詰めてある。
奥にもう一部屋、そこからアブちゃんが顔を出した......。

「......この壁紙はね、京都の職人さんに染めてもらったのだけど、色を決めるのに大変だったよ。
絹布が薄すぎてそのままでは貼れないから、裏打ちをしてもらったんだけど、それでもこっちの業者ではうまく貼れないっていうからさ、けっきょく京都から職人に来てもらって、袋貼りっていうの?四方の端にだけ糊を薄く付けて中に少しだけ空気をいれてね。だからとっても柔らかい雰囲気に仕上がっているでしょ?昔気質の職人ていうのはほんとうにすごもんだよね。マキちゃんは写真屋さんになったんだ。万七さんのところにいたんじゃ、マキちゃんも職人さんだね。すごいすごい。でね、ここの仕切りの壁自体はね自分で建てたんだよ。この床はさ、...... でね自分が食べていけて、ここの場所が確保できればいいんだ。若い絵描きさんだとかそういう人たちが集まってみんなで楽しくね。で、この場所で個展をやるんだ。発表の場になるでしょ。......」
たしか昔はゆったりとしゃべる人だったはずだが、久しぶりに会ったアブちゃんは機関銃のようにしゃべる。
そして若い絵描きさんやら建築家やら音楽家の人たちが奥の狭い空間にいっぱい溢れていた。

「マキちゃんちょっと待っていてね。久しぶりだから話があるから。」と言って皆の話にもどって芸術談義を繰り広げるアブちゃん。
話が一区切りついたところで、昔からの知り合いの息子さんだからと言って皆に詫びて帰ってもらった。
「どうしたの?なんだか昔のマキちゃんと雰囲気違うな。なんかあったの?」
僕はぽつりぽつりと自分の話をはじめた。
「そうか、そんな事があったんだ。良い悪いはべつにしてそんな辞めかたじゃ先生の関係のところにはいけないよな。どうすればいいかな。そうだ、カメラってバッグ一つと三脚くらいでしょ?ここの奥にいればいいじゃない。場所を貸してあげるから。家賃はいらないよ。その代わりに自分で払えるようになったらここを出て行って自分の事務所を構えてくれればいいよ。マキちゃんはあたらしく仕事先をみつけなくちゃいけないじゃない。名刺に銀座って刷ってあるだけでも信用になるから。ここから仕事にいけばいいんだよ。お客さんもここに呼んでもいいよ。家でやるっていっても、なかなか気持ちを持ち続けるのは大変だよ。うん。ほら今の顔みたいになっちゃうよ。」
「ありがたいんだけど、カメラっていっても大判の蛇腹のカメラから、ブローニー版のカメラにそれから35ミリだから。それに最低限のスタンドや照明などを考えるとちょっとむりだから......」
「えっとどのくらいだ。こっちのバックヤードに来てみて。ほら裏はこんな合板の板のままでしょ?こっちを使うのは僕だけだからむき出しなんだ。自分で建てた壁だから、いかにも素人くさいよね。でここが作品を入れる棚なんだけど、マキちゃんの話を聞くとこれくらいは必要そうだし、今ここに入っている作品は自宅に持って帰っておくからここを使って。これなら大丈夫でしょ。あーっとほらスライドを見るライトボックスとかも必要だし、やっぱり専用の電話も必要だな。お客さんがいないときは外に出てライトボックスを使ってもらってもいいけどさ。じゃーこっちの事務机を使っていいよ。」



けっきょく僕はその後3年間、銀座で居候をきめこんだ。



ここのところ、あまり銀座に用事がなくなったこともあってか滅多にアブちゃんの画廊にも顔を出さなかった。
7月の初め、アブちゃんのお友達の建築屋さんの社長さんから電話があり、その時にはじめて5月にアブちゃんが亡くなったことを知らされた。



銀座の画廊に行ってみた。

奥さんがいらして、アブちゃんの話を聞いた。
ずっと肝臓が悪かったのは勿論知っていたが、数年前にガンになったこと。去年の暮れには、もって一ヶ月と宣告されていたこと。こんな時代でいよいよ画廊が立ち行かなくなって場所を手放すことを考えていたこと。それでも仕事を辞めずに亡くなる前日まで仕事をしていたこと。お腹に腹水が溜まり具合が悪いので、病院に水を抜きに行ったらそのまま入院に、そしてその晩に亡くなった事......。
途中でタバコがなくなったので、アブちゃんの吸っていた残りのタバコをもらった。





7月の最終日に、銀座にいきました......。

残念ながら画廊は開いていなかったので外からながめて帰りました......。

奥の扉にはアブちゃんが貼ったのであろう、美術館のチラシがまだそのまま残っていました......。

古いビルの独特な匂いもそのままでした......。

古びた感じの建物がさらに古ぼけてみえました......。

さようなら......アブちゃん......。


ご冥福をお祈りいたします。





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座・高円寺

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風が強いが湿気のない爽やかな日になったなとおもったら、もう翌日には雨。

雨の中を来訪者があったので、昼は「座・高円寺」のカフェ「アンリ・ファーブル」へ。

天井も高く、ゆったりとした空間で、23時まで営業、アルコールも飲める。
個人的に残念なのはタバコがNG。
吸いたい時は建物をいちど出なくてはいけない。

高円寺らしからぬオシャレなところだが、これも新しい高円寺なのでしょう。
なんと、「座・高円寺」阿波踊りの練習に優先権がある「阿波踊りホール」もあるらしい......。  (笑)

ところで高円寺の阿波踊りのはじまりだが、パル商店街の青年部が隣町の阿佐ヶ谷の商店街(パールセンター)が集客目的ではじめた七夕祭りでおおいに売り上げが伸びたことを聞きつけ、負けじと始めたものだとか。
競い合った結果、いまではどちらも多くの観客を集めるイベントとなった。
ここで注目したいのは、商店街の名前がとっても似ているところ。
どちらももとが英語だとすればだいぶ意味は違いますが、音が似ているのはたんなる偶然とは思えない。






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スパイスから調合したという「本格インドカレー」。辛さは弱いが、ちょっと癖になるトマトと酸味がきいた味。ごはんにはクミンシードが混ざっていた。小麦粉でとろみを付けていないないところはインド風だが、味はインド風ではなくて、完全にカフェごはん風。表向きははスパイスでかかき消されているがかなりの量のニンニクが入っている。さっぱりとした味わいのカレーで悪くはないが、もうひと頑張りすればすばらしくなりそうな感じも。次回に期待。トスサラダのドレッシングは米油のようだが、ちょっと酸味が弱い。

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話足りなくて、食後にカフェ「ブラウン1号」へ。場末のスナックだったような場所をそのまま居抜きで使用しているカフェ。高円寺らしくてとってもいい。ピカピカの箱よりもこちらのほうが僕の好み。

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